2012-05-16
お待たせしました。
最新長編『叛鬼』が本日、店頭に並びます。
この作品は昨年、廃刊となってしまった「KENZAN!」(講談社)に掲載されていたものです。
それが、ようやく日の目を見ることになりました。
カバーはピンクで、血というよりも執念を感じてほしいと思います。
物語は、戦国黎明期に関東平野を所狭しと暴れまわった"叛鬼"長尾景春を主役に据えたものです。
体制側から見れば、単なる叛乱者かもしれませんが、この作品はピカレスクロマンではなく、景春の立場から描いたものです。道灌や早雲も出てきます。
二人の考え方やキャラなども練りに練っていますので、にやりとしていただけると思います。
また、先日文庫化されたばかりの『疾き雲のごとく』をお読みいただければ、この時代が、さらに楽しめるでしょう。
戦国時代の引き金を引いてしまった男の生涯を、ご堪能いただければ幸いです。
2012-05-13
作品は商品ではありません。
こうした前提は常識だと思っていましたが、そう思っていない方も多いようです。
サービス過剰な今日、読者の一部は、作品と商品の区別がつかなくなり、商品と同じように作品にもサービス向上を要求し、自らのリテラシーで読めない作品を、「作家のせい」と考えるようになってきました。
「読みにくい」などという批判は、その最たるもので、語るに落ちた形で自らのリテラシーの低さを露呈しています。
これは世間一般に言えることですが、何事も自責で考えず、他責で考えるようになってきているわけです。
これは恐ろしいことで、若い読者から成長意欲や知的向上心を剥ぎ取り、「俺は、このままでいいんだ」と、「その場にとどまる」ことを肯定します。
ところが、リテラシー構造はピラミッド型になっているので、作品をリテラシー・ピラミッドの底辺まで押し広げる努力をしなければ、本が売れないのも事実です。
キャッシュフローが苦しい作家生活を続けるためには、読者の口まで飯を持っていき、「さあ、召し上がれ」とやらねばならないというわけです。
これをやろうとすれば当然、サービス過剰になり、作品の商品化現象が起こります。
読者もそれが分かっているだけに、「口を開けてやるから飯を入れろ」となるわけです。
この繰り返しが、さらに読者のリテラシーを低下させるという悪循環を生みました。
とくに若者向けの作品を書く作家たちは、競うようにその流れに対応しようとするので、表現の質を下へ下へと下げていくレベルダウン合戦が、無限地獄のように続いていきます。
これこそが、ここ数年、ライトノベルの延長のような小説群が生まれた背景です。
こうした商品化の流れに迎合した作家の行き着く先は、読者の奴隷でしかありません。
しかし、迎合しなかった作家は読者と対等のパートナーシップを結べます。その結果、向上心を失わない読者に、商品ではない作品を提供し続けることができるのです。
なんて格好をつけても、売れなければ作家生活を続けられないのも事実です。
子供の作文のようなものでも、売れていれば版元各社から貴賓のように扱われ、億万長者にもなれます。しかし売れなければ、没落の道が待っているだけです。
そうなると当面の糧を得るために、作家は迎合の道を行かねばなりません。
それが嫌だったら、成熟読者層を独占するほどの筆力が必要です。
ところが成熟読者層は、日増しに薄くなっているので、そこを狙うと過当競争が発生します。つまり上の方は、需要と供給のバランスが完全に崩れているのです。
元来、作家は成熟読者であり、執筆に熟練すれば当然、成熟読者層に向けたものしか書けなくなります。
つまり生き残っているベテラン作家の大半が、成熟読者層向けになっているのです。
その中でも大家と呼ばれる方々は、多くの成熟読者層を囲い込んでおり、それが日に日に少なくなるのを感じています。
しかし、成熟読者層は保守的でもあるので、何とか固定ファンを守り抜いてゴールする(死ぬ)ことができるとも踏んでいます。多分、それは正しい認識でしょう。
これからの時代、そのおこぼれに与り、彼らの一角に食い込めても、得られる果実は極めて少なく、しかもフィッシュ・ボールは、日に日に小さくなるというジレンマに陥ります。
それゆえ、おしなべて新規参入作家は、リテラシーの斜面を読者と共に滑り降りていくしかなくなります。
読者全体が突如として「向上心」の塊と化さない限り、この構造は変わりません。
これが、今日の進むも引くもできない作家という職業の実態です。
2012-05-08
さて最近は、身辺雑記や趣味の話が多くなったためか、拍手数がとみに減ってきました。
やはりこのブログに来ていただける方は、小説関連の話にご興味がおありということを再確認しました。
なでしこのネタは面白いと思ったのですが…。
「スナックのママ」のくだりで、深夜に一人で笑いこけていたのですが、そんなに面白くなかったようですね(無念)。
ということで、創作にまつわるマジ話に回帰しましょう。
3/16に発売された『疾き雲のごとく』(講談社文庫)ですが、早くも二カ月が経ちました。
おかげさまで、まずまずの滑り出しのようです。
この作品は、「早雲を書きたい」という思いと、「そろそろ短編でも書くか」という思いが重なった結果、生まれました。
私が初めて執筆した短編集となります。
後に書くことになる短編集と異なるのは、最初に太田道灌、扇谷上杉定正、足利茶々丸、大森氏頼、今川氏親、三浦道寸といった早雲を取り巻く人物をピックアップしてから、「さて、どんな話にするかな」とした点でした。
まず、それぞれの人物と早雲の関係性を調べ、その中で「引っ掛かる点」を抽出しました。
「引っ掛かる点」を先に抽出してから題材を考えるが、歴史短編(とくにミステリー)の基本創作法です。
以下が「引っ掛かる点」です。
道灌 道灌ほどの男が、なぜ交渉事で早雲に後れを取ったのか。
定正 落馬による頓死の裏に何があったのか。
茶々丸 なぜ、いとも簡単に早雲にしてやられたのか。
氏頼 同上(厳密には氏頼の死後)
氏親 いかにして駿河の静謐と今川家の栄華を築けたのか。
道寸 徹底抗戦した理由は何か。
同時に、道灌といえば「巨大な自意識を持つ旧体制の護持者」、定正といえば「戦好きの見栄っ張り」、茶々丸といえば「血塗られた復讐者」、氏頼といえば「信心深い人格者」、氏親といえば「良識ある為政者」、道寸といえば「誇り高き頑固者」といった、それぞれのキャラクターを、残された古文書類や事績から築いていきました。
そして先ほどの「引っ掛かる点」と整合性を取っていったのです。
小説とは個別生産型ですが、生産工程をある程度、統一することで生産性が上がるのです(アイデアを発展させやすい)。
次は視点をどうするかです。
早雲を謎のヴェールに包まれた男とするためには、すべてに他者の視点が必要です。しかし、こうした有名人だけで視点を設けると、どれも同じようになってしまいます。それゆえ、個性的な二人だけに視点を持たせました。
道灌と氏親です。
その他の三篇には、それぞれ馬丁、娼婦、仏師、僧侶といった架空の人々の視点を設けました。
これにより早雲との間に距離ができ、箱根山を覆う霧のように早雲の謎度が増しました。
かくしてプロットの構築に入るわけです。
ブロットを考える上で注意すべきは、すべての短編をどんでん返しにしないということです。
ジェフリー・ディーヴァーのように「これでもか」といったどんでん返しを続けることは、手慣れてくれば、さほど難しくはないのです。
サッカーで言えば、「ボールを裏に出す」といった感覚です。
ただし歴史小説の場合、これをやりすぎると重厚感がなくなります。五篇あれば二篇がラストのどんでん返し、二篇が途中での軽めの返し技(倒叙法的展開でもOK)、一篇がカタルシスだけで読ませる(ミドルシュートを蹴る)という割合がいいでしょうね。
難しいのは「途中での軽めの返し技」ですね。これは読者に「俺はこうなると分かっていたんだよね」と、優越感を抱かせるために伏線や布石を蒔いておきます。
いわゆる「中盤でのビルドアップ」ですね(笑)。
これをやると、読者は「こうなると分かっていた」気がするのです。
読者はラストでのどんでん返しを好みますので、短編集の中では、その短編の評価が自然に高まりますが、それでいいのです。なしのものがあるからこその高評価なのです。
言い換えれば、花屋さんでバラや百合ばかりを束ねてもらわないのと同じです。
ミドルシュートを蹴っている短編にも、実は「重厚感を醸し出す」という役割が課されており、これが短編集全体を引き締める効果があるのです。
拙著で言えば、『疾き雲のごとく』では『道灌謀殺』、『戦国鬼譚 惨』では『画龍点睛』、『城を嚙ませた男』では『江雪左文字』といったところでしょうか。
さて、そこで問題なのは、短編集を貶める場合の常套句「作品にばらつきがある」です。
「どんでん返し」は麻薬のようなものですから、読者は常にそれを求めます。それゆえそれがないと、肩透かしを食らわされた気がします。
それが「作品にばらつきがある」という発言につながるのですが、よく読んでみると、それぞれの作品の品質は均一で、それぞれが役割を果たしていることに気づくわけです。
さて、得意がって工房の秘密の一つをばらしてしまいました(笑)。
興味をお持ちになった方は、『疾き雲のごとく』を買って下さい。
小説家志望者ではなくとも、小説の創作法を知る上で、格好のテキストになると思います。それが、さらに小説を読む楽しみにつながっていくわけです。
2012-05-05
いよいよ澤選手が本格復帰して、なでしこリーグも盛り上がってきましたね。
かくゆう私も、昨年のワールドカップのスウェーデン戦とアメリカ戦を見て、すっかりファンになってしまいました。
何と言っても驚かされたのは、スウェーデン戦で川澄選手がゴールを決めた時の笑顔。
「おい、何でアイドルがサッカーやってんだよ!」という衝撃。
続いて鮫島選手。
「おい、何で普通のOLがサッカーやってんだよ!」という衝撃。
そして丸山選手。
「おい、何でスナックのママがサッカーやってんだよ!」という衝撃。
しかも三人とも大活躍――。
女子サッカーは、「やってもおかしくない人たちがやるもの」と思っていたが、時代は変わった。
そしてホープ・ソロやアレックス・モーガンを見てからは…。
「おい、何でハリウッド女優がサッカーやってんだよ!」という衝撃。
非国民になってしまいそうな今日この頃(笑)。
2012-04-30
昨夜は、イ・プーとロカンダ・デッレ・ファーテのライブを見に、クラブチッタまで行ってきました。
イタリアのロックは今も燃えていることを再認識!
ここにきてのイタリアンロック大隆盛に歓喜の涙…。
昨夜は、生ける伝説ロカンダ・デッレ・ファーテと、イタリアンロックの巨星イ・プーの競演ということで、昨夜のクラブチッタは大盛り上がりでした。
ロカンダの曲構成は緻密の一言。ムーグやメロトロンなどのキーボード群が怒濤のような音の厚みを作り、それに挑むように朗々たる男くさいボーカルがかぶさるところは圧巻。
華麗にして優美(グラッツイア)、これぞイタリアンロック!
一方のイ・プーは、とにかく音がでかい。
軟弱なポップバンドのイメージもあったが、演奏はヘビイの一語に尽きる。
私の耳が痛くなったのは、頭脳警察以来のこと(笑)。
それにしても、あのプログレの歴史に残る名曲「パルシファル」の生演奏を見られるとは、もう思い残すことはないね。
残念だったのは、フォルムラ・トレが来日できなかったこと。
実は、この日のフェスは3バンドの競演だったのだが、ボーカルのアルベルト・ラディウスが心筋梗塞で倒れ、緊急手術とのことで、来日が取りやめとなってしまった。
それだけが無念だったが、ラディウスは順調に回復しつつあるということで一安心。
セットチェンジの30分を抜いても、2バンド3時間のライブには大満足(\14,800なり)。
プログレ親父は、まだまだ燃えている!
2012-04-20
■ザ・バンドのリーダー、レボン・ヘルム氏死去
(読売新聞 - 04月20日 12:05)http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1992257&media_id=20こうして時代は変わっていくんだな。
武道館と神奈川県民ホールの二回、行っといてよかった。
今夜は泣けるぜ…。
2012-04-20
この18日、今シーズン二回目の推協ソフトが開催されました。
版元からの参加者が少なく、いつものように作家対版元連合という対戦ができず、紅白戦として行われました。
二戦とも私の所属したチームが勝ちました。
一回戦は8対7のルーズベルトゲームの上、サヨナラゲームでした。
サヨナラヒットは光文社の萩原さんでした(拍手)。
二回戦は11対0の完封勝利。
投げたのは書評家の西上心太先生でした(拍手)。
私は悪送球を一つしてしまいましたが、6打数5安打3打点という満足いく結果を残せました。
これでトータル16打数12安打ということで、現時点では、さすがに首位打者でしょう。
しかし逢坂剛先生が、3ホーマーも放ったため、トータル4ホーマーとなり、3本差が開いてしまいました。
昨年は10本前後の争いであったため、目標の三冠王がピンチに…。
あっ、逢坂先生、打点も8か…。
ということで、ご関心のない話題でしたが、たまなので許して下さい。
2012-04-17
というBSの番組の取材がありました。
その中に作家や著名人の書斎を訪問するというコーナーがあり、ディレクターと撮影担当が自宅に来ました。
それゆえ、これもきっかけと思い、大掃除を断行、コンサル時代の資料やら何やらを思い切って捨てました。
いやー、すっきりした。
溢れんばかりと思っていた蔵書はそれほどでもなく、十分に本棚に収まりました。尤も、小説や文庫は別の部屋に置いてありますので、ここにあるのは資料本の類だけです。
写真は、床の間を改造したミニ図書館です。
整理や掃除というのは、一念発起してやってみると、さほどたいへんでもないものです。
これで心機一転、またがんばれます。
ちなみに放送日時は下記になります。
4/20(金) 22:30〜23:00
4/27(金) 22:30〜23:00(再放送)
なかなか自宅を公開する機会もないので、番組をぜひご覧下さい。http://www.bs-j.co.jp/honniaitai/