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2010-05-25

太田金山オフご報告(館林城、小泉城篇)

5/22、四十二名という信じ難い参加者数で、太田金山オフか開催されました。この人数は約十年前と比べれば、隔世の感があります。
 今回、私はガイド役でなかったため、気楽に参加できました。鷹取さんととともに横浜を出発し、まずはオフ会前の朝駆けとして館林城へ。
 榊原康政十万石の城下町として有名なこの城だが、遺構は極めて少ないのです。北関東には、廏橋(前橋)、岩付、高崎、結城など、明治期以降、徹底して破却される城が多いのですが、ここも同じく、どうすればこれほどなくなるかと思われるほどの徹底ぶり。コメントのしようもなし。七年前に来た時は、そんなものだと思っていたのですがね。
 また、この城を本拠にしていた足利長尾顕長の名が、あまりに低いのも不思議。北関東の梟雄の一人として、もっと知名度が上がってもいいと思うのですがね。拙著『戦国奇譚 首』では、館林城を舞台にした顕長家臣のエピソードがあるのはご存じの通り。
 また、太田金山城の由良国繁と館林城の長尾顕長兄弟が、氏政の謀略により居城を乗っ取られたという説が、ネット上の城郭HPなどで、いまだ流布していますが、これは二人が北条家を離反したからであり、沼尻合戦後の和睦交渉で、佐竹義重にも見放されたからなのです。この経緯を知りたい方は、斎藤慎一先生の『戦国時代の終焉』(中公新書)を読むべし。
 続いて小泉城へ。この城の城主は富岡重朝(秀高)です。知る人ぞ知る存在でしょうが、彼は、苦しい時も頑ななまでに北条家に忠節を貫いた頑固な国人です。武田勝頼が猛威を振るった天正九年(1981)には、上野国で唯一の北条傘下国衆となったほどでした。
天正十一年十一月末から翌年二月末にかけて、由良、長尾両勢に佐野勢まで加わり、猛攻を受けた小泉城でしたが、北条家の来援抜きで、この攻撃を凌ぎ切るという大殊勲を上げます。強いぞ富岡氏!
そのほかにも、いろいろ武功を上げていますが、一貫して北条方として活躍し、何の疑問もなく(おそらく)、小田原合戦で小田原に入り、北条氏ともども没落します。重朝とその子、六郎四郎秀長の代では一度として裏切りませんでした。その態度は爽やかでさえあります。
そんな親近感を抱いてしまう重朝の本拠小泉城は、水堀に囲まれた静かな公園となっていました。外曲輪の一部土塁も残り、こうした平城であっても、遺構が残っているのは、富岡氏の意地を見るようで、感慨深いものがあります。

写真は、館林城の土塁、小泉城の内掘、小泉城外曲輪土塁と掘
 ということで、いよいよ太田金山城へGO!
(長いので今日はここまで)


館林城縮小版

小泉城縮小2

小泉城縮小1
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