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2010-08-16

ある質問

幻海カバー帯なし

ある読者の方から『幻海』について、下記のような質問を受けました。
「前半では緻密な描写が、後半から終盤にかけて会話文主体で大雑把に進んでいく気がします。なぜ前半のような緻密な描写を心がけなかったのですか」
 これはたいへんいい質問で、小説作法において重要と思われるので、ここで触れておきたいと思います。
 むろんこれ手抜きをしているわけではありません(笑)。
 もしも終盤に至るまで、私が緻密な内面描写(苦悩や葛藤)をつらつらと書き続けたとしたら、多くの読者は「内面描写がしつこくて、後半のスピード感が損なわれている」と思われることでしょう。特に、シサットのキリスト教に対する不信感の醸成はテーマじゃないので、これでもトゥーマッチでしょう。
 ディーン・R・クーンツが『ベストセラー小説の書き方』で記しているように、こうしたアクション重視の小説は「終わりに近づいたら、小説のスピードを上げたまえ。最後の章は情景や人物の長ったらしい描写に重点を置くべきではない」ということなのです。
 クーンツは話を先に進ませるアクセルの役割を果たすのは、「会話」であるとも言っています。さらに「重苦しい説明文ばかりの小説は、心理的に見ても、読者にアピールしないのだ」とも言っています。
クーンツはストーリー・テリングを最も重視する作家の一人で、とにかく思わせぶりな表現やもって回った言い回しを嫌います。これはスティーヴン・キングにも共通していることです。
日本の小説ばかり読んでいる方にはなじめないかもしれませんが、これが欧米エンタメ小説のお作法なのです。
この作品で私は「陳腐」と言われるかもしれないぎりぎりの線で、文章からあえて過剰な装飾を外しているのです。それにより後半から終盤にかけて、読者は一気読みできるのです。普段なら「承知した」というところも、あえて「わかった」としているのです。
まあ、格調高い本格歴史小説をお好きな方は、私のほかの作品を読んで下さった方がいいと思います(笑)。
「この作家はそれができない」のか、「できるのにあえてそうしている」のかを、しっかり洞察した上で、「そうしているのであれば、なぜなのか」を問うのも読書の楽しみ方の一つです。
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伊東潤

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