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2011-01-10

文章表現とは何か

水嶋ヒロ氏の「KAGEROU」という小説が話題となっていますが、AMAZONのレビューが、たいへん面白いとの噂を聞きつけ、早速、見てきました。確かに、これは面白いです。
その中で、唯一と言っていいほど評価されているのは、その文章表現が平易で、誰にでも読みやすいという点です。もちろん私も、書店でさらっと拝見しましたが、確かに平仮名が多く、たいへん読みやすい作品だと思いました。
ここ十年余、いかなる世界でも、平易な表現ばかりが追い求められ、「誰にでもわかりやすい」ことばかりが、尊重される風潮にあります。しかしそれって、文芸の世界で評価されるべきことなのでしょうか。
小説とは、知識や教養の伝播を目的とした文と違い(説明書、教科書、研究書等)、作家の感性というフィルターを通した表現手段の一種です。表現手段である限り、音楽や絵画同様の感性が、作者に要求されるものであるはずです。
むろんそれが、言語という枠の中で表現されるため、枠の少ない音楽や絵画とは別次元のものとして考えられ、言語という”縛り”がある分、表現手段としてはワンランク落ちるわけです。別の言い方をすれば、言葉という道具を使った間接的な表現手段なのです。
つまり部品である言葉を選び、それを文とし、さらに文章に構築していくのが、小説表現(または技術)の大きな部分であるわけですが、小説を書いていくと、最初のアッセンブリー工程である言葉選びだけでも、常に岐路がつきまといます。そこで、常に平易な言葉ばかり選んでいては、表現手段(いわゆる芸術)とはなりえず、説明書と化していくのです。
水嶋氏のみならず、こうした傾向はほかの作家にも蔓延しており、小説業界も「わかりやすい文章合戦」= 「下引き合戦」の様相さえ呈しています。これは、平易な表現を使えば使うだけ読者が多くなるので、「売らんかな」を考えた場合、おのずとそうしたくなるからです。しかし、そんなことを皆でしていると、読者は育ちません。
例えばかくゆう私も、高校時代、松本清張なんて読むと、難しい単語や熟語の連続で困りました。そこで、いちいち辞書を引くのも面倒なので、前後の文脈から、その語の意味を推定します。初出ではわからないものも、二度、三度と同じ語と出会うことで、その意味が掴めます。そして、その語がどのような時に使われるかを知り、なぜ作家がその語を選んだのかが分かり、自分でも使えるようになります。それが読者の成長というものです。それを促すのが作家の役割でもあるわけです。
昨今の出版不況の一端が、こうした「平易な表現で読者を成長させない作家」にあることは明白です。つまり、読者が育たないから本が売れず、また皆で「下引き合戦」を繰り返すという無限地獄が続くわけです。その行き着く先は、漫画や絵本のような小説の蔓延でしょうか。
一方、それをやっていると作家も育ちません。「わかりやすさ」ばかり重んじる作家は、自身も成長しないのです。「こんなに漢字が多いのに、こんなに難しい言葉を使っているのに、なんでこんなに読みやすいんだ!」と、読者に思わせる作家こそ、熟練のプロなのです。まあ、私がとやかく言っても、この流れは変わらないでしょうが(笑)。
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