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2011-04-27

三浦半島オフ

四月二十四日、快晴の下、三浦半島に散在する諸城をめぐるオフ会を開催しました。
 いつもはmixiの「お城めぐりしよう」コミュと合同なので、40-50人規模ですが、今回は後援会のメンバーに限っての募集ということで、7名という小規模なオフとなりました。
 というのも、クルマでないと効率よく回れないためです。
 最初に行ったのは鐙摺城。
 こちらは三浦氏系の城ですが、道路を造るために大半の遺構が破壊されたようで、現況はかなり小さなものになっています。名前の由来は、頼朝が馬でこの城に登った際、あまりに道が急なので、鐙が崖に擦れて落馬しそうになったとか。また、わが祖先の伊東祐親が、頼朝との戦いに敗れてここで自害したそうな。無念…。
 続いて和田義盛関連の史跡へ。説明省略(笑)。遺構ないし。ただ、この辺りは一面に大根や西瓜の畑が広がり、日本の原風景が楽しめます。
 続いて芦名城へ。とくに遺構らしきものはなし。岩が割れていて、そこを堀切という説があるが、どうもそのようには見えない。
 次は、本日メインの三崎城へ。
 この城は、北条氏規がその全知識を投入して築いた戦国後期を代表する名城です。残念ながら遺構の大半は失われていますが、古地図からその縄張りを復元してみると、敵の侵入経路を予想し、火線の死角がないよう計算され尽くされた縄張りを有していることが分かります。詳細は『戦国の堅城Ⅱ』を。
 現況は、三崎中学校の校庭に五角形の馬出が残り、二曲輪の西の土塁、笹曲輪の土塁や堀切などが散見される程度ですが、町の中に残る城としては、上出来な残り具合ではないでしょうか。馬出は、藪がひどくて形状の確認は困難でしたが、そのほかの遺構は、かなり見やすくなっています。外曲輪(頼朝の桜御所)を含めると城域も広く、滝山、鉢形ほどではないにしても、それに準ずる規模でしょう。
 三崎漁港でマグロ定食を食べた後、新井城へ。
 今回は東大地震研究所に事前許可をもらい、城の中核部分に入ることができました。
 それを見て驚愕――。
遺構がこれほど残っているとは(感涙)。
しかし土塁も空堀も、三浦道寸の時代のものとしては、規模が大きすぎるのです。玉縄城レベルというほどではないにしても、それに準ずる規模です。
北条氏の城の特徴は、杉山城のようなテクニカルな縄張りよりも、小田原、玉縄、滝山、鉢形諸城のような規模のでかさにあると思いますが、この遺構も明らかにその特徴を有しています。
また北条氏は「横矢掛かり」「折れひずみ」が好きですが、この城の本曲輪の堀も諸所でしっかり折れています。杉山城問題があるので、三浦氏の城ではないと、断定はできませんが、杉山城と異なり土塁と堀の規模がでかいので、北条氏の城という感じもします。
つまり早雲が三浦家から分捕った後、北条家の手で造られたということも考えられるのではないでしょうか。そして氏康の頃、三崎城を拠点城としたため、新井城を廃城としたのではないかと。
海面から崖が切り立っている城なので、籠るにはいいとしても、統治や商業統制にはたいへん不向きな城ですし、廃城はやむなしでしょう。
続いて怒田(ぬた)城を経て浦賀城へ行きました(説明略)。

今回は行ったことのある城ばかりでしたが、三崎城のすべての遺構や新井城の全貌が見られたので、たいへんな収穫でした。
油壷湾はすごい透明度で感動しました。
海の見える城って、やっぱりいいですね。


写真は、三崎城から見た湾内風景、油壺湾、東大地震研内部の土塁と空堀
縮小版三崎城から見た湾内

油壷湾縮小版

新井城の堀と土塁縮小版


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伊東潤

Author:伊東潤
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