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2011-05-29

「読めていない」

最近、このブログで身辺雑記や日々の雑感なども書き始めましたが、やはり拍手が少ないので、面白くないのではないかと反省し、小説とそれに付随する話題中心にします。
 確かに、五十の親父が「どこに行った」「何を食った」「猫がどうした」なんて話題、誰も興味ないですよね。反省しきりなオデ(笑)。
 また美術や音楽などの話題も、ニッチすぎて興味がないのも分かります。
さて近頃、AMAZONなどのネット書店のレビューも荒れてきましたね。インターネット草創期にかなり近づいた気がします。
 それが的を射たものであれば、作家というのは誰でも襟を正して聞き入るものです。しかし昨今のものは、まず「読めていない」ことを強く感じます。
 こうしたものを見ると、作家のその作品における「たくらみ」に気づかず、ただ何となく読んだ後に、「上目線で粗探ししているのだな」ということが分かります。
 中には、レビュー者が史実を誤って記憶していたり、勘違いしていたり(ホントに多い)、文意を誤解していたり、作品中に書いてあるのに見落としていたりといった、初歩的なものもありますが、「読めていない」ものも、かなり多いのです。
例えば、拙著『幻海』において、宣教師の「布教の苦しみ」が通り一遍で、深みがないと批判する方が多いのですが、冒険小説に布教の苦しみはないでしょう(笑)。そうしたものを読みたければ、遠藤周作先生の著作でも読んで下さいと言いたくなります。
また秀吉や三成のキャラが「月並み」というのも多く見られますが、登場シーンの少ない脇役キャラに独自性を持たせることは、その理由がなければ意味ないのです。これは小説作法の常識。
また「キャラに魅力がない」なんてのも、私の作品ではよく言われますが、それはキャラクター小説の読み過ぎで、小説の本質がわかっていない証拠です。
まあ、そのくらいの小説のお作法を「分かってもらえる」と思うのは、作家が読者のリテラシーを買いかぶり過ぎているのかもしれませんが、「上目線で粗探し」という姿勢を読者が改めない限り、小説の世界は荒れ果てるばかりです。
辛口批評というのはプロの書評家にしかできない「達人芸」の類で、そこには、並大抵の努力では得られない読書経験と洞察力が必要とされるのです。
 いずれにしても、一冊の本が出るまでの作業工程を知っていれば、思いつきの批判を上目線で書くことなどできないはずです。
 一つの作品は、作家、編集、校閲(社内と社外)といったプロが徹底的にクロスチェックし、ようやく世に出ます。私の場合、発売の一年ほど前に脱稿しますので、約一年、誰かにボールが渡っており、それをもんでいるわけです。つまり上目線で粗探しをしても、その大半は「読めていない」ことの証明になってしまうのです。
 たとえそれが一つ星の悪口雑言であっても、的を射たものであれば、作家は感服するものです。しかし、ついぞそういったレビューに出会えた例はありません。
 世間で評価されているものを「何でも貶めたい」気持ちも分からないでもないけれど、読者と作家が互いに尊敬できるような関係を築くことこそ、文壇全体のレベルを上げ、読者が良質の作品を楽しめることを忘れないでいただきたいと思います。
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プロフィール

伊東潤

Author:伊東潤
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『巨鯨の海』
『王になろうとした男』
『峠越え』
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『野望の憑依者』
『池田屋乱刃』
『死んでたまるか』
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