FC2ブログ

2011-08-23

『北天蒼星』の作劇法と思惑

景虎カバー帯なし

最近、うれしかったのは『北天蒼星』において、上杉景勝・樋口与六主従を悪役として描いたことに対し、ネット上で感情的な意見を述べる読者がほとんどおらず、たとえ景勝贔屓の方であっても、小説作品として、『北天蒼星』を評価していただいていることです。
これは心底、うれしかった。
小説というのは、持論を述べる場ではありません。歴史小説には情報性や教訓性も求められるとはいえ、最も重要なのは、ほかのジャンルの小説と同じく物語性なのです。
物語性とは、言うまでもなく「いかに面白い物語か」ということであり、その面白さは読者の年齢、立場、生活地域、読書経験、リテラシーなどによって多様です。とは言っても、最大公約数的な面白さというものがあり、それを引き出すのが「作劇術」です。
「作劇術」の一つに「悪役は徹底して悪役なほど、物語は面白くなる」というものがあります。中途半端に悪役を「いい奴」として描くと、読者は悪役を応援したくなり、主人公への感情移入度が弱まるのです。それぞれに言い分のある場合でも、どちらかの視点を取ることで、一方を悪役に仕立てるのがセオリーです。この定式が当てはまらないのは「多視点群衆劇」ですが、それについて語るのは機会を譲ります。
さて、戦国時代を舞台とした歴史小説を書く場合、武将を描くことが多くなると思いますが、そこで厄介なのは、誰しも贔屓の武将があるということです。読者は、贔屓の武将がよく描かれているものを好むと同時に、悪く描かれていると不愉快になります。これに「地元の英雄」といった要素が絡むと、さらに厄介です。
それゆえ私は、『北天蒼星』において、上杉景勝・樋口与六主従を徹底した悪役として描くために、『関東戦国史と御館の乱』という歴史研究新書を前もって出版し、小説家ではない研究家としての見解を示したつもりでした。厳密に言えば、共著の乃至政彦氏の説に賛同したわけです。ちなみに共著というのは、共著者の説にほぼ賛同したことを意味しています。
これにより「みそぎ」を済ませた上で(笑)、『北天蒼星』において、存分に上杉景勝・樋口与六主従を大悪人として描きました。
むろん、二人による謙信暗殺の可能性を否定していないことも確かです。「ありえない話」を、私は小説化しないからです。しかし妥当性からいえば、乃至氏の説に大筋、賛同していることは言うまでもありません。
ネット上の少数意見として、私が「景虎ないしは北条家贔屓なので、景勝らを悪く描いた」と、誤解をなさっている方もいるようなので、今回は念のため、作劇法と発表までの戦略を開示させていただきました。
「作品だけに語らせる」ことが小説家の本領であり、こうした言い訳じみたことを申し上げるのも真に不本意なのですが、少ないながらも、ネット上で誤解もあるので、あえて申し上げさせていただきました。
従来の景勝・与六像とは異なるダーティヒーローとしての彼らの姿を楽しんでいただくのも、小説の楽しみの一つではないでしょうか。
次回、9/12発売の「歴史人」における「城を攻める、城を守る」の連載第二回は春日山城です。こちらでも、懲りずに御館の乱について書いていますので(笑)、ご購読いただければ幸甚です。
プロフィール

伊東潤

Author:伊東潤
作家伊東潤のブログへようこそ!

【最近の作品】
『巨鯨の海』
『王になろうとした男』
『峠越え』
『天地雷動』
『野望の憑依者』
『池田屋乱刃』
『死んでたまるか』
ホームページ
http://quasar.ne.jp/CCP026.html

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード