FC2ブログ

2011-09-19

本との出会い

天人五衰

読書の秋となりました。
「読書の秋」なんて言葉は、もう死語ですね(笑)。
いずれにしても、読書家の方々が素晴らしい本と出会える季節です。
ベストセラーは別として、本との出会いは、偶然からのものが多いかもしれません。それは好きな作家を見つけ出すことでもあり、読書家の楽しみの一つでしょう。
しかし、最も不幸な出会い方の一つに「図書館で借りる」というものがあります。
断っておきますが、私は図書館を頭から否定する気はありません。その話は今回の主題から外れるので、またの機会にします。
なぜ図書館で本を借りることが、本との不幸な出会いとなってしまうのか。
それは「本を借りて読む」、つまり無料であることから、少し読んで面白くないと読み続けることをやめてしまうからです。
とくに、一回で何冊も借りられる図書館の多い昨今では、この傾向が強くなり、一回にたくさん借りてくる方ほど、堪え性がなくなり、立ち上がりから面白くならないと読むことをやめてしまうのです。
これは本との出会いを自ら放棄することであり、受け手と送り手、双方に不幸なことです。
また、こうした方ほどブログなどで本をこき下ろすことが多いのです。つまり「自分が読み続けられなかったのは本のせい」という他責指向が強くなるためです。
高校時代、私は三島由紀夫先生の『豊穣の海』が楽しめないのは、「自分が未熟なせい」だと思い込み、劣等感に苛まれました。それゆえ途中で挫折するのが口惜しくて、理解できなくても全四巻を最後まで読み通しました。その時は、ささやかな達成感に満たされましたが、むろん「楽しめた」とは言えない読書でした(笑)。
また、中学時代に挫折した小松左京先生の『果てしなき時の果てに』は、大学時代にリターンマッチして、ぐんぐん読み進められ、自らが進歩しているという喜びに満たされました。小林秀雄(懐かしの『考えるヒント』!)、高橋和己、吉本隆明なども同様です。
こうした修行のような読書から喜びを得るには、確かに忍耐力が要ります。貴重な余暇時間を無駄にしているような気にもなります。
しかし知的向上心がない限り、一ランク上の知識の森に踏み入ることはできません。
まず、自らの金で本を買うことから始めましょう。
そんなことを言うと、すぐに「印税ほしさ」と勘繰られるでしょうね。
しかし、これは印税を守る立場から言っているのではなく、図書館で借りることの多い方々が、時間を無駄にしないことを祈って言っているのです。
何よりも、新品を手にした時の手触りや紙の匂いほど、読書意欲をかき立てるものはありません。そういう形で、読書意欲を増してから一ランク上の本に挑まない限り、またぞろ途中放棄となりかねません。これこそ時間の無駄でしょう。
それができないのなら、借りる時は一冊だけ借りる。そして、その本を最後まで読み切ることが大切です。
どうしても読み切れない時は、その責任を作者に求めないことです。
一冊の本を読み切れなかった時、自らが未熟であると思うことが、自らを向上させるためには大切です。
自責で考えることは、すべての出発点なのです。
スポンサーサイト
プロフィール

伊東潤

Author:伊東潤
作家伊東潤のブログへようこそ!

【最近の作品】
『巨鯨の海』
『王になろうとした男』
『峠越え』
『天地雷動』
『野望の憑依者』
『池田屋乱刃』
『死んでたまるか』
ホームページ
http://quasar.ne.jp/CCP026.html

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード