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2011-12-06

今、そこにある危機

昨今のテレビは、しつこいくらい説明が多いですよね。まさに視聴者は飯を食べるために口を開けるだけで、そこに飯が運ばれるというブロイラー状態です。
テレビ番組を見ていると、「そんなこと説明しなくても分かるだろう」と思うことが多々ありますが、テレビ局の立場も分からないではありません。
おそらくテレビ局には、視聴者からのフィードバックが想像を絶するほどあるのでしょうね。しかもその大半は、制作側を「そんなに分かっていないのか」と驚かせるものばかりなので、自然に説明過多となるわけです。
小説も同じで、ネットのレビューなどを読むたびに「こんなに読めてないのか」と、愕然とさせられるものが多く見受けられます。
それゆえ、すべての小説作品が説明過多になり、優しい表現、身近な舞台、口当たりのいいストーリーという方向に流れていってしまうわけです。
つまり送り出す側が、ネット上などでのフィードバックを真に受けることで、「サービス過剰現象」が起こるわけです。

皆さんは、東大生が最も愛読する作家は誰だと思いますか。
西尾維新というライトノベル作家だそうです。
「誰それ」と思うのは、私だけではないでしょう。
未来の文化の担い手である東大生まで、すでに時代の洗礼は受けているのです。
どうしてそうなったのかというと、ここ十年、「分かりやすいもの」=「親切なもの」=「いいもの」に対し、「分かりにくいもの(ちょっと頭を使うもの)」=「不親切なもの」=「悪いもの」という図式が成立してきたからです。
これは、すべてのコンシュマー向け商品が「親切なもの」になるのにつられて、映画や小説といった「必ずしも親切でなくてもいいもの」まで、そういう流れに乗せられてしまったことの証左です。
それが常態化すると、自らのリテラシー・レベルでは楽しめないものに対し、読者は悪意を抱くようになります。
つまり、「お客様を楽しませることができないのは、送り出す側に責任がある」というコンシュマー向け商品同様のお客様意識が生まれるわけです。
それだけならまたしも、読者はリテラシー・レベルを上げようとしなくなり、すべての作品に、無意識裏に自らのレベルに合わせることを求めるようになります。「口まで飯を持ってこい。そしたら食べてやる」という状態ですね。
つまり知的向上心を持たなくなるのです。
私が子供の頃は、あらゆるものに説明などなく、「分かる奴だけ分かればよい」と言わんばかりの不親切が当たり前の時代でした。
それが大人の社会だと思っていました。
そのため手当たり次第に新聞や本を読み、自らのリテラシーを高めていったものでした。
それを考えると、不親切というものが人を鍛え、リテラシーを底上げしてくれるものなのだとつくづく思います。
これだけあらゆるものが至れり尽くせりとなってしまった今日、若者たちはどこへ行くのでしょうか。
年を取っても本や新聞を読まず、老眼鏡を掛けて携帯をいじり、老人ホームでゲームをしてはしゃぎ、みんなでアニメを観るのでしょうか。
その様を思い浮かべると、空恐ろしくなります。
でも、それは現実として目前にある未来なのです。

アンニョーン(^^)/
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伊東潤

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