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2012-02-10

歴史小説における物語性

私は「よく調べたね」というお褒めの言葉をよくいただきます。
好意的な言葉なので文句はありませんが、調べるだけで小説が書ければ、これほど楽なことはありません。
だいたい歴史小説というのは、フツーの小説以上にストーリー・テリング力が要求されます。言い換えれば物語性です。
「歴史の大筋は決まっているのに、何がストーリー・テリング力だ」と、多くの方々は考えがちでしょうが、実は違います。その真逆と言ってもいいでしょう。
結論から言うと、「誰でも結末を知っているがゆえに、そこに至るまでストーリー・テリング力で読ませることが必要」となるからです。
本能寺で信長は死にますし、関ヶ原は東軍の勝ちです。こうした史実が厳然としてあり、そこに至るまでにも、大小の史実がいくつも横たわっています。
それらを次々とクリアしつつ(整合性を取りつつ)、読み物として面白いストーリーを編み出さねばならないのが歴史小説なのです。それゆえ、歴史小説における物語性は、ほかのジャンルの小説以上に重要となります。
さらに、そこには「新たな切り口」「独自の解釈」「現代の写し鏡」「魅力あるキャラクター」「謎解き」といったハードルも用意されます(これらについては別の機会に)。
実は、吉川、司馬、山岡、吉村諸先生の時代には、さほどの物語性は求められていませんでした。物語性よりも作家が情報を集め、それを取捨選択し、味わい深い文章で読ませてくれればよい時代だったからです。
つまり読者には、今日以上に情報性が重視されていたのです。
この傾向が色濃く出ているのは吉村昭さんです。
このほかにも、歴史小説に求められる要素として教訓性があります。すでに大昔のことのようですが、企業経営者や管理職が歴史から学ぶという目的で、歴史小説を読んでいた時代があったのです。
この傾向が過度に強いのが童門冬二さんです。
つまり、歴史小説に求められる要素としては、物語性、情報性、教訓性があるわけです。
それぞれ何を重視するかは、作家によって異なりますが、今日では、物語性が強く求められています。
最近の読者は、かつてのように忍耐強くありません。若ければ若いほど、この傾向は強くなります。つまり、「面白いか、面白くないか」で作品を判断します。
エンタメ小説において、作品を評価するほかの基準はないと言ってもいいでしょう。
それゆえ、物語性の際立っていない一時代前の歴史小説は、時代遅れとなりつつあるのです。
それでも世のお父さん世代は、自分がかつて読んで面白かったものを息子世代に勧めがちです。それが明らかに時代遅れとなっていても、少年の感受性は変わらないと思うのか、過去の楽しかった読書経験を記憶しているのでしょうね。
逆に大半のお父さんたちは、新しい歴史小説を読もうとしません。司馬先生たちが、あまりに偉大だと思い込んでいるからです。
それゆえ、昔の作家の歴史小説を読まされた息子たちは「歴史小説よりもラノベの方が面白いや」となるわけです。
多分、私が今、十代であってもそう思うでしょうね。
このサイクルが歴史小説ファンを激減させている要因の一つです。
これを打破するには、文句なく面白い歴史小説によって、「力攻め」で、ほかのジャンルの小説を蹴散らしていくしかありません。
ただでさえ、情報伝播力(いわゆる口コミ力)が弱いシニア男性層を対象としている本格歴史小説の場合、とにかく面白くて質の高いものを書きまくって、お亡くなりになった諸先生の墓を封印していくしかないのです。
つまりゴーストバスターズです(笑)。
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