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2012-05-13

作品の商品化現象と作家のジレンマ

作品は商品ではありません。
こうした前提は常識だと思っていましたが、そう思っていない方も多いようです。
サービス過剰な今日、読者の一部は、作品と商品の区別がつかなくなり、商品と同じように作品にもサービス向上を要求し、自らのリテラシーで読めない作品を、「作家のせい」と考えるようになってきました。
「読みにくい」などという批判は、その最たるもので、語るに落ちた形で自らのリテラシーの低さを露呈しています。
これは世間一般に言えることですが、何事も自責で考えず、他責で考えるようになってきているわけです。
これは恐ろしいことで、若い読者から成長意欲や知的向上心を剥ぎ取り、「俺は、このままでいいんだ」と、「その場にとどまる」ことを肯定します。
ところが、リテラシー構造はピラミッド型になっているので、作品をリテラシー・ピラミッドの底辺まで押し広げる努力をしなければ、本が売れないのも事実です。
キャッシュフローが苦しい作家生活を続けるためには、読者の口まで飯を持っていき、「さあ、召し上がれ」とやらねばならないというわけです。
これをやろうとすれば当然、サービス過剰になり、作品の商品化現象が起こります。
読者もそれが分かっているだけに、「口を開けてやるから飯を入れろ」となるわけです。
この繰り返しが、さらに読者のリテラシーを低下させるという悪循環を生みました。
とくに若者向けの作品を書く作家たちは、競うようにその流れに対応しようとするので、表現の質を下へ下へと下げていくレベルダウン合戦が、無限地獄のように続いていきます。
これこそが、ここ数年、ライトノベルの延長のような小説群が生まれた背景です。
こうした商品化の流れに迎合した作家の行き着く先は、読者の奴隷でしかありません。
しかし、迎合しなかった作家は読者と対等のパートナーシップを結べます。その結果、向上心を失わない読者に、商品ではない作品を提供し続けることができるのです。

なんて格好をつけても、売れなければ作家生活を続けられないのも事実です。
子供の作文のようなものでも、売れていれば版元各社から貴賓のように扱われ、億万長者にもなれます。しかし売れなければ、没落の道が待っているだけです。
そうなると当面の糧を得るために、作家は迎合の道を行かねばなりません。
それが嫌だったら、成熟読者層を独占するほどの筆力が必要です。
ところが成熟読者層は、日増しに薄くなっているので、そこを狙うと過当競争が発生します。つまり上の方は、需要と供給のバランスが完全に崩れているのです。
元来、作家は成熟読者であり、執筆に熟練すれば当然、成熟読者層に向けたものしか書けなくなります。
つまり生き残っているベテラン作家の大半が、成熟読者層向けになっているのです。
その中でも大家と呼ばれる方々は、多くの成熟読者層を囲い込んでおり、それが日に日に少なくなるのを感じています。
しかし、成熟読者層は保守的でもあるので、何とか固定ファンを守り抜いてゴールする(死ぬ)ことができるとも踏んでいます。多分、それは正しい認識でしょう。
これからの時代、そのおこぼれに与り、彼らの一角に食い込めても、得られる果実は極めて少なく、しかもフィッシュ・ボールは、日に日に小さくなるというジレンマに陥ります。
それゆえ、おしなべて新規参入作家は、リテラシーの斜面を読者と共に滑り降りていくしかなくなります。
読者全体が突如として「向上心」の塊と化さない限り、この構造は変わりません。
これが、今日の進むも引くもできない作家という職業の実態です。
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伊東潤

Author:伊東潤
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