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2011-03-04

『関東戦国史と御館の乱~上杉景虎敗北の歴史的意味とは?』の書評が日経新聞に載りました

関東戦国史カバー2

2011年3月2日付け日本経済新聞夕刊の「エンジョイ読書欄」に『関東戦国史と御館の乱~上杉景虎敗北の歴史的意味とは?』の書評が載りました。
評者は風俗史家の井上章一氏です。

『関東戦国史と御館の乱~上杉景虎敗北の歴史的意味とは?』(洋泉社)
伊東潤・乃至政彦共著

上杉謙信の跡目あらそいには、戦国史を左右しかねない重大な意義があった。これまでの通説をしりぞけ、著者たちはその本質にせまる。戦国史マニアには必読
評価★★★★(5段階評価)


おかげさまで、さらに上昇気流に乗りました。
文芸ファンの皆様には、『戦国鎌倉悲譚 剋』もよろしくお願いします。
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歴史の日の目を見れなかった 「当たりの人材」

はじめまして"上杉景虎"をキーワードにブログ検索しましたら あなたの記事にたどり着きました。

ボク とある歴史のブログ書いてる方にこうタイトルしてメール送ったことがあります。
"歴史の日の目を見れなかった 「当たりの人材」"・・・と


江戸時代でも いるじゃないですか。
"ホントはこの人が徳川の将軍になるべきだった、この人が藩主をやるべきだった"・・・みたいな。

上杉謙信の死後 実の子がいないので  謙信のふたりの養子による跡目争いが発生する...そう、「御館の乱」が


 ・ ひとりは北条氏康の子で越相同盟の証として上杉家に送られ、謙信に「景虎」の名前をあたえられて養子になった...上杉景虎。  ・ もうひとりは謙信の甥であり謙信の姉「仙桃院」の子で謙信の養子になった...喜平治。のちの上杉景勝。

結果は景勝が勝ち、景虎は負けて自害したけれども 景勝も決して無傷ではありませんでした。 越後領内は疲弊し、戦後処理になやみ、景虎の実家の北条ににらまれて、織田からは狙われ越後の地は危険な状況に追い込まれました。

逆に、景虎が勝ち 景勝が自害してても 
勝ったがゆえに戦後処理のなやみや織田信長への対抗に景虎も苦労していたはずです。

ただ、景虎が政権を握っていた場合 北条の血筋を受け継いでいる事を強みがあるため 北条と上杉の同盟強化から織田信長への牽制策は打ち出せたかもしれません。 
もっとうまくいけば秀吉や家康が天下人になっても時代の流れに乗り、景勝とはちがう形で上杉を繁栄し存続できたのでは...

御館の乱は謙信にとって 悲しい戦でしたが、
やはりふたりはまじりあうわけがなかったんですね...

No title

コメントありがとうございます。
仰せの通りだと思います。
プロフィール

伊東潤

Author:伊東潤
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【最近の作品】
『巨鯨の海』
『王になろうとした男』
『峠越え』
『天地雷動』
『野望の憑依者』
『池田屋乱刃』
『死んでたまるか』
ホームページ
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