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2012-08-02

歴史小説の時代的変遷

なぜ結末を知っていながら、人は歴史小説を読むのか。
この疑問に自分なりの解答を持たない限り、歴史小説を執筆することは困難です。
それは、教訓性・情報性・物語性の三点から説明できます。
70~80年代の情報性重視の時代には、歴史研究新書などなく、一般読者が手軽に史実を知ることはできませんでした。
つまり、その役割を小説が担っていたのです。
この時代は、一般読者に史実の前提知識が乏しいため、司馬遼太郎氏の作品群が、すべて史実に裏打ちされているという誤解さえ生まれました。
この頃のたいていの作品は、少年時代から始まり、恋をして活躍して死ぬまでを時系列的に描いており、とにかく長いのが特徴で、山岡荘八氏にしても吉川英治氏にしても、怒濤のような物量で読者を圧倒しました。
読者は「全巻読み切った」という達成感から、こうした傾向の作品に、過度に高い評価を与えてきました。
「ドラマはいいから、もっと史実を知りたい」という読者の欲求に応え、吉村昭氏のような史実の叙述の合間に、登場人物の感慨らしきものをわずかに挟むという作風まで生まれました。
これが情報性重視の時代の歴史小説です。
つまり結果が分かっていようがいまいか、読者には関係なかったのです。
しかし英雄譚に飽いた読者は、「どうせ読書するなら、自らの人生や生活に役立つ何かを得たい」と思うようになります。

これにより教訓性重視の時代が到来します。
80~90年代まで続いたこの時代に活躍したのが童門冬二氏や堺屋太一氏です。
当時、企業経営者や管理職は、こぞって「歴史から学ぼう」としていました。
小説的面白さはそっちのけで、とにかく自分の仕事に役立ちそうなエッセンスが盛り込まれた小説が好まれました。
そうした要請に応えた「プレジデント」という雑誌は、どんな会社の応接室にもありました。
つまり、歴史から教訓を学べれば、面白いとか面白くないとか、結果が分かっているかどうかなど問題にされなかったのです。
しかしこのトレンドも、かゆいところに手が届くほどの数のビジネスハウツー本や実用本の爆発的蔓延により、十年ほどで終焉しました。

新世紀を迎え、時代の流れは、どんどん早いものになってきます。
以前のように、じっくりと時間をかけた読書をする人などいなくなってきました。
歴史小説にも、「物語的な面白さ」を求める方が大半、という時代が訪れたのです。
しかも堪え性のない00年代の読者は、じっくりと立ち上がるのを旨とする歴史小説の特性を容認してはくれません。
前回に述べたように、面白さの評価基準は現代小説と同じで、「歴史小説だから仕方がない」とは思ってくれません。
そうなると、結果が分かっているという歴史小説の弱点は致命的です。
それゆえ史実に囚われずに、時代背景だけ借りて架空の主人公たちが活躍するNEO系歴史小説が生まれました。
また、山田風太郎氏や隆慶一郎氏が開拓した歴史伝奇小説の分野も、新しい作家が増えてきました。
これであれば、いかようにも物語を紡げます。
かくして物語性重視の時代が到来したのです。
(続く)
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